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 今日も今日とて、空からヘリの音が鳴り響く休日。(休日じゃなくても)

 そういえば、震災から数日後、母が
「お母さんと散歩してたちっちゃい女の子が、空に自衛隊のヘリが飛んでるのを見て、『頑張って~』って手を振ってた」
 という話をして、
「へえ、偉いねえ、お母さん、ちゃんと子供に説明してるんだね」
 と言ったら、
「……そうだね」
 と答えた母は、一体その親子を見て何を思ったのか。
 そうだねの前の微妙な……は一体どういう意味?
 私の答えが何かハズしてたの?


 それはともかく。

 もうこれは、余震という表現をいい加減に改めないとと思います。

 余震、ていうと、本震(何その日本語)のオマケみたいなイメージじゃないですか。
 いや実際、本震の影響で揺れてる地震だから余震なんでしょうけど、でもその余震で、被災地では、ようやく片付けはじめたというのにまたガラスが割れたり物が落ちたり家が崩れたり、人が亡くなったりしてるわけですよ。
 この地震をオマケみたいな言い方して欲しくないよなあ
 と、1ヶ月過ぎてもまだ震度4の余震が来る今日この頃にふと思うわけです。

 これくらい大きい地震だったら、普通に大きい「地震」なのに、「余震」とか片付けられてるんですもんねえ。
 そして私も、もう地震に慣れちゃって、「あら今日のはいつもより大きいな」とか思う程度で普通に仕事してたので、ぞくぞく外に避難する人に「外に出なきゃダメだよ!」と引っ張り出されたわけですが、でも日が経つにつれて、大きい地震の時に外に出てくる人の数も減ってきました(苦笑)。

 最も私は、あの一番大きかった地震の時も、1時間くらい外で避難した後、更に暫く屋内待機になってた間、暇だったので仕事してたんですけど……。
 通りかかった人に「水瀬(仮名)さん仕事してる……!」ってすごいびっくりされた(笑)。
 だって待機してる間暇だったんだもん……。
 携帯も2階事務所のバッグの中だったし(居たのは1階倉庫)、持ってるPHS(会社の)は不通になって家に電話できなかったし……。
(震災時、携帯は全く繋がらなかった中でPHSやスカイプは比較的繋がりやすかった、と、ニュースでは報じていましたが、冗談はよしこさん)

 丁度1ヶ月目のあの日は確か、福島県浜通りの震源地が一日中揺れまくっていて、うちにも震度4が来ましたが、今回の震度4は県南が震源地と聞いて、うちの県の中にも揺れるポイントがあったのか――とびっくりしていたら、後に情報が隣県南部に訂正された模様でした(更にこの地震については、余震ではなく単独の地震だそうでした)。

 まあ、震度4で揺れたところで、うちの被害はせいぜいテレビから落ちたガンプラがバラバラになるくらいですが……(それも組み立てればすぐに元通りさ)。
 あとは幾度となく棚の最上階からダイブした達磨さんの表面にひびが入って剥がれてしまって、これは家の誰かの代わりに(つか私の代わりか)怪我をしてくれたということかと、剥がれた赤いやつを何となく捨てることができないんですが(笑)、それでも尚、棚の最上階に戻す私の神経はいかばかりかと思います。
 ベッドヘッドの上の壁に、重い壁掛けを下げてて、これが3.11のあの日にはぴくりともしてなかったのですがある日家に帰ったらベッドの上に落ちてて、私が寝てる時だったら怖いことになってたなあと苦笑です。
 こんなん頭の上に飾っておくなと……。

 そしてまた近い内にM8とかのでかい地震が来ると予測されているわけですが、それは本震なのでしょうか。それともそれすら余震という括りに入ってしまうのでしょうか。
 余震大きすぎるよ……。



 話は変わりますが、各国の反応も、最初はとても同情的だったのに、汚染水が海に流されたあたりから、政府への非難が目だってきましたな……。
(国内では比較的最初の頃から非難されてましたけどな!)
 たまたま新聞で取り上げてた記事でそう感じとれただけで、非難は前からあったかもですが……。

 そりゃあ各国でも呆れてるだろうよ……。
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